ドイツゴサイコウ

ドイツ語の仕組みについて再考するブログ

語学学校再入学を断られた時の話

みなさんこんにちこんばんは。ご無沙汰しております。すっかりおさぼりブログとなった本サイトですが、ふと思い出したことがあるのでちょっくら記事にしていこうと思います。これは、初めてドイツの大学に通い始めて絶望した直後のお話です。

 

史学科に入学した初日に挫折した話は何度か記事にしてきましたが、実はその話には続きがあります。自分の語学力に呆れた当時のわたしは、とりあえず近所の語学学校に行ってドイツ語力をアップさせてから大学に再挑戦する計画を立てました。

さて、レベルチェックテストを受けてみるとすごくアンバランスな結果が出ました。文法は満点、読解・作文テストはかなりの低得点だったのです。スピーキングも終えて、担当者に「なんで大学に入れたのにまた語学学校に戻ろうとしてるの?必要なさそうだけど」と言われたことを鮮明に覚えています。今思うとすごくいい指摘だったと思うのですが、当時のわたしはガビーンとショックを受けた記憶があります。大学でもダメで、語学学校にまで受け入れてもらえないとなるとどうすればいいのかと。

 

さて、言語学を専攻して違う視点を身に着けた今、この出来事を再考してみると面白い点が浮かび上がってきます。

 

①文法力と言語運用能力の違い

どれだけ文法の能力が高くて細かい言葉のルールを理解していても、ドイツ語を実際に使うこととは雲泥の差があります。いうなれば、言語学者が研究対象の言語を必ずしも流暢に話せるわけではないという現象と同じです。

当時のわたしの場合は、文法力と読解・作文力が極端に乖離していたようです。言語を実際に使う能力は、文法力とは似て非なるものなのです。スピーキングも、日常会話なら何とかついていけるだけで(しかも学習者と話すのに慣れている語学学校の担当者相手に)、高度なアカデミックスピーキングとは違うもので。

また、語学力一般について書いたことがありましたが、理解・算出の違いや書き言葉・話し言葉の違いもあります。テストではうまく「ごまかせ」ても、実際のドイツ語力には限界がありました。

 

②目標をどこに置くか

ネイティブとして生まれたわけではない以上、「完璧なドイツ語」を話せる日は一生来ません。というかネイティブでも「完璧に」話すことなんてできません。人間である以上、文法を間違えたり、言葉の選択を誤ったり、言い間違えたり、言葉に詰まったり、そんなのは日常茶飯事です。言葉の正しさにフォーカスして学習するからこそ自分の中の「ドイツ語」のハードルが上がってしまって、自分の首を絞めることにつながるという点は少しだけ意識した方がいいなあと思います。もちろん外国語を勉強する時に正しさを意識するのは大事なことですが、度を超すと大変な思いをすることになります。

ここにも書いたけれど、非ネイティブとして外国語を使う際にはどこかで妥協する必要が出てきます。そしてその選択は、必ずしもネガティブな意味だけを持つわけではないのです。なんせ私にはほかに日本語という母語がありますし、初めてドイツ語を目にした日と比べて、着実に進化を遂げ続けているので。

もし仮に、完璧なドイツ語で武装できるその日を目指してドイツ語の勉強だけを続けていたら?と考えてみることがあります。わたしは飽き性なので、興味ないテーマについて記事を読まされるのも、与えられたテーマについてディスカッションさせられるのにも、言葉の正誤だけを指摘され続ける生活にもいつかきっと限界が来ていたはずです。もしかしたら、つまらなくなってドイツ語自体を手放してしまったかもしれないなあと思います。クラスで学ぶ言い回しはどこか現実味がなく、頭に入ってこないことが多い気がします。それよりも、完璧でなくてもいいから実際にドイツ語を頻繁に使ってみた方が楽しいと思うのです。

ま、専門で使う言語力がついてこなくてやきもきすることも結局たくさんあるのですが、そこは比較対象を過去の自分にして、進歩を確認し続けるのが一番いいかなと思います。

 

③専門性という武器

後になってドイツでの大学生活を思い返してみると、興味のある分野について学ぶ意識を刺激されたことで、内容を理解するための手段としてドイツ語力が上がった自覚があります。今でも、専門分野について同僚と話しているときが一番スラスラドイツ語が話せる気がします。

大学生活で触れる言葉は自分に興味/関連のある内容と深く結びついていることが多く、内容がなんとなく分かることによって言葉が後からついてくることもすごく多いです。理系の利点について書いたけれど、概念が既に存在していると、後から言葉というツールを身に着けるだけでいいので、こういうルートで言葉を学ぶことも可能です。わたしの英語の普段のグダグダさを知っている友達が、私が専門分野について議論する様子を見て驚いていたことがあったのですが、興味の強さや自分との関連性の強さによって大きく左右されるのが語学力というものです。第二言語習得論(SLA)でいうやる気という部分ですが、本当に的を射ていると思います。

 

さてさて、この話にはさらに続きがあって、語学学校はダメだと分かった後、最終的には大学にもドイツ語の語学コースがあることを発見して通い始めました。謎のプライドが邪魔をして、語学学校に行くのはいいのに大学でドイツ語を勉強するのは負けだという感覚があったのですが、グダグダ言っている余裕もなかったので。でも、これが運命の出会いになりました。というのも、私の大学のドイツ語コースは冗談抜きで今まで出会った語学コースの中で断トツのクオリティだったからです。学術ドイツ語にフォーカスを当てて、専門的な構文・語彙を教えられ、しかも作文もスピーキングも鍛えてくれるスーパーミラクルな授業がたくさん提供されていて、結局三年近くドイツ語コースに通い続けました。それでもまだまだ学ぶことが終わりなく湧いてくるのが、ドイツ語学習の怖いところなのですが。

話は逸れますが、ドイツ語圏の(というか外国語圏の)大学に通うことを検討している人は大学付属の語学センターがあるか、特に学術ドイツ語のコースが提供されているかというのは大学選びの基準に入れるのをおすすめします。高めのレベルのDaF(外国語としてのドイツ語)が破格で勉強できるのはかなりの利点です。

 

終わりに、言葉は、大学や仕事をはじめ、日常生活を過ごすうえで一番の基礎になるものです。言葉が十分に話せるかは、思っているよりもずっと精神衛生に影響を与えます。それでも、多少言葉がボロボロでも、とりあえずドイツ語を使える環境に身を置くことで進化していくものもあるよ、というお話でした。皆さんも、安心してドイツ語を実践的に身に着けられる環境が見つかるといいなあとひそかに願っています。それではまた!

 

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