ドイツゴサイコウ

ドイツ語の仕組みについて再考するブログ

言語学修士課程を修了しました!👏🎉@ドイツ

みなさんこんにちこんばんは。修士課程が始まってから、ほぼブログが更新できないうちに卒業する流れになりました。在籍期間はまさかの7学期。規定では4学期ということになっているので、ほぼ2倍の期間に渡ります。ただ、在籍期間3年半というのは、わたしの大学ではごくごく平均的な値だそうです。なぜそんなに長くかかったのか、そもそもドイツの文系修士(M.A.)はどんな感じなのか、忘れないうちに記事にまとめようと思います。2月に卒業したはずが、いつの間にか既に4か月経過していますが、ご了承ください。

 

①自律を求められる

学部以上に自由な修士課程。どの授業を選ぼうと、どう組み合わせようと、どれだけ潜ろうと、どれだけサボろうと、誰も気にしないしチェックも一切ありません。自由度が高いという面でかなりの利点になりうるこのシステムですが、気を付けないと現状維持を数年間続けることになります。学部時代から、長いこと修士課程に通う日本人学生を見ながら不思議に思っていたのですが、自分が同じ立場に置かれてみるとあら不思議、なぜか数年が溶けていました。

一応入学時に大まかな目標と達成するタイミングを設定していたはずなのに、途中で完全にエネルギーが切れて、2021年春から2022年暮れまでの2年弱「残すはゼミ論一つと修論だけ」なんて言い続けることになりました。おそろしや。

問題があるとすれば、滞在許可の更新です。これには大学の事務局で卒業見込みの時期を判断してもらう必要があるのですが、上記の通りわたしはこれでも平均的な在籍期間が終わるタイミングで卒業できたので、特に問題ありませんでした。

 

②いろんな課題を並行してこなす必要性

長い修士生活を送ったとはいえ、そのうち1学期は一応仮入学という扱いでした。というのも、ドイツには Konsekutiver Master という謎制度があり、学部課程と同じ科目に進学する場合、学部の卒業見込みさえあれば修士課程に通いながら学士号を取得することが可能なのです。ただしタイムリミットは最初の1学期。もし学部の卒業が間に合わなければ、次の学期はまた学部生として過ごし、次の年度にまた修士に入りなおすという形になっています。

わたしは学部と同じ大学に進むことに決めたのですが、理由は何といっても研究室でアシスタントのバイトができたから。こちらは、ドイツ語名で SHK (Studentische Hilfskraft)あるいは Wissenschaftliche Hilfskraft (HiWi) と呼ばれています。滞在許可の面でも大きなメリットがあります。アカデミアに進む際の登竜門とも言われ、研究にも片足を突っ込みたかったわたしは、学部時代に拾ってもらった音声学の研究室で働き続けるためにあえて同じ環境に留まることに決めました。

ただ、修士に通いながらバイトをこなし、卒論のデータ収集・分析・執筆を期限内に終わらせるのはかなりのハードスケジュールでした。今思えばきっと、このタイミングでひっそり心が折れていたんだと思います。

 

③現状維持が苦にならない

何が怖いって、同じ都市で数年暮らしていると、経済的な自立もできて、軽々現状維持ができてしまうこと。学費や交通費が安いため借金もしなくていい、たまにカツカツの生活を強いられることになっても基本的に食いっぱぐれることはない、という状況になると、人間そう簡単に環境を変えようとすることはないんだなあということを実感しました。

友達もいるし、周りもみんな似たような状況だし、学部を卒業して就職した友達もそんなに金銭的なメリットがないらしいという認識だったので、なおさら修士を早く終えて定職に就くという選択肢が遠のいていたような気がします。修士の終わりごろには別のバイトができる環境も整えて、ますます快適な生活を送れるようになったのもあって、大学の課題をこなすモチベーションが一切見えなくなっていました。

ただし、当時はどうやらドイツで指標とされる貧困ラインを優に下回った生活を送っていたという事実に気付いたのは、つい最近です。

 

④コロナ

何といってもこれは一大要因です。おそらく、普通のキャンパスライフを送れていたならこんなに長いこと大学に残り続けることにはならなかったはずです。1学期目も終わりに近づき、ちょうどこれからテスト期間が始まるというタイミングで大学が完全に閉鎖されたため、6学期ずっとコロナと共に大学生活を過ごすことになってしまいました。オンライン授業はもう全く向いていなかったようで、パソコンの雑音が気になって集中できなかったり、話し始めるタイミングが一切掴めずオンライン会議恐怖症になりかけたのはちょっとしたトラウマです(外国語なので意味不明さは数倍)。

痛かったのは、イギリス留学計画の頓挫。本当なら3学期目はイギリスに留学するはずが、全部オンライン授業になってしまったばっかりに、日本に帰って時差ボケと戦いながら夜中3時にゼミを聴講する羽目になりました。やれやれ。

ドイツのぬるま湯みたいな環境に慣れ切ったわたしには、イギリスの大学の厳しさは予想外でした。コロナ禍の影響をもろに受け、心身の調子を大幅に崩してしまったため、課題の提出が数日遅れることになってしまったのですが、えげつないペナルティを食らいました(10%減点)。メリットをもらった科目もごく普通の成績になってしまったり。これで完全に修士に対するやる気が削がれたのも事実です。

 

⑤卒業そのものがリスク

さて、おそらく日本人学生がぶち当たる壁で一番高いものがこれでしょう。ドイツにも、日本と同じく理系・文系のような区分があり、修士号の呼び名が異なります(Master of Science - M.Sc / Master of Arts, M.A. など)。専門性という強い武器を持つ理系科目ならまだしも、ドイツ人学生ですら就職に苦難すると言われる文系科目を専攻していると、正直な話、卒業後の見通しが一切付きません。語学の壁や就活の独特すぎる文化、何度失敗しても諦めないバイタリティーを求められることを想像するだけで、肌寒くなるものです。大学生活はこなせても、ネイティブに勝る自己アピールが思いつかないと正直かなり厳しいものがあります。

怖いことに、大学生というステータスを失った瞬間から交通機関の乗り放題チケットや保険料の減額などの恩恵を受けられなくなるばかりか、滞在許可が切れるまでのカウントダウンが始まってしまいます。現地の大学を卒業すると、職探しの期間にもらえる18か月分の滞在許可がもらえるのですが、1年半で何も見つからなかったら、慣れ親しんだ環境から放り出され、しばらく入国さえできないという状況にもなりかねません。くわばら。まさにこの動画みたいな感じ。

参考: Uyen Ninh - Instagram: "Graduating is great, and what comes after is a new chapter of challenges and opportunities. It might be hard but hang tight, you got this!!!"

 

さて、ちょっとばかしネガティブな内容になってしまいましたが、これがわたしの修士生活の感想です。こちらで出会った日本人学生も、「その後」のことで悩んでいる印象を大いに受けました…。

言語学は戦略次第でそれなりに潰しが効く科目なので、在籍している間から先を見据えてスキルを身に着けていけば怖いものはあまりない印象も受けます。その分時間も取られて卒業が遅れるという負のスパイラルには注意が必要ですが。

 

最後に、卒業につながったきっかけについて。バイト先の同僚で、研究員として働いていた博士課程の学生が長い期間産休・育休に入ることになったため、ピンチヒッターとして私に白羽の矢が立ちました。それが決まってからは急ピッチで修論のデータ収集・分析・執筆を終わらせ(デジャヴュ)、ぬくぬく修士生活にピリオドを打つことになったのでした。そして流れで博士課程に進学し、今に至ります。

期間が決まったプロジェクトのため、契約終了後どうなるかは一切不明です。この空白が一番怖かったのに!何が起きるかはわからない、それもまた人生かなあと思ったり。

 

それではまた☺

 

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「シュヴェーリン」?? ― 特殊な形態素についての考察

みなさんこんにちこんばんは。大変お久しぶりです。ちらっとドイツ語の日本語標記についての議論を目にしたので、今日はしばらく温めていたネタにでも手を付けようと思います。

さて、湖上の宝石との呼び名が高い北ドイツの観光地、Schwerin。みなさんはどんなカタカナ表記を使いますか?わたしは、数年前この街を実際に訪れるまで、「シュヴェーリン」が正しいと思い込んでいました。ドイツ語で友達に旅行の報告をするときも、Schwerinに行ったよ、なんて e の音にしっかりアクセントを置いて。

でも、一体どの街に行ったのか、必ず聞き返されてしまいました。それもそのはず。実はこの単語、アクセントが後ろに来るのです。Schwerinといったように。カタカナ表記だと、「シュヴェリーン」になります。

気になって、「シュヴェーリン」と「シュヴェリーン」をGoogleで検索してみたところ、前者のヒット件数は3090件、後者に至っては23900件もヒットするではないですか。なんと7倍以上の圧倒的な差。ドイツ語に詳しくなったつもりが、実は一人でとんでもない覚え間違いをしていたことを思い知らされたわけです。

さて、似たような地名をさらに詳しく見てみると、面白い現象が浮かび上がってきます。例えば首都、Berlin。こちらは「ベ」が強調される日本語の「ベルリン」とは似てもつかない発音で、R は「ル」としては発音されず、「-in」にアクセントが来ます。あえてカタカナで表記するなら、むしろもはや「べリーン」くらいの感じです。例をもう一つ。ポーランド語読みで「シュチェチン」、ドイツ語ではStettinとして知られたこの街も、「-in」が強勢です。「シュテティーン」くらいの勢いで。

ポーランドという地名をきいてハッとする鋭い読者の方もいらっしゃるかもしれませんね。実はこの「-in」はスラブ語由来で、固有名詞につく時は必ず強調される運命にあります(注: Ortsnamenの欄参照、女性を表す「-in」とは別物)。というわけで皆さんも、「-in」で終わる人名に出会った際にはぜひ自信を持って最後の音節を思いっきり強調して発音しましょう。

 

最後に、悲しい思い出話で締めようと思います。時は2020年、コロナ禍ですっかり旅行が制限された際、割と短距離で向かえるという理由で一人弾丸旅行の目的地に選んだシュヴェリーン。ホテルではなぜかだだっ広い部屋に通され孤独を味わい(タオルがめちゃくちゃ臭かったけどレセプションは不在で電話も不通)、レストランでは一人なのを理由に入店を拒否され、スーパーの閉店時間ギリギリに食料を入手して、お城と湖をバックに一人さみしくモサモサ食感のパンを食べた記憶のある街です。この時、一人旅行はもうやめようと自分に誓ったのでした。当時の写真を見ると、孤独感溢れる内容になっていてなかなかシュールです。

 

夜のシュヴェリーン城

拗ねてる?彫刻

 

その後北ドイツではいい思い出がたくさんできたので、結果オーライですが。お城も街並みもものすごく綺麗なので、機会があればみなさんも是非(できれば他の人も一緒に)シュヴェリーンに行ってみてください。

 

それではまた☺

 

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【発音向上】強敵「Rの発音」のパターンあれこれ

みなさんこんにちこんばんは。今日は、久々にドイツ語ブログっぽい記事を書いてみよう思います。普段から目にすることの多い、「Rの発音」についてです。今日の記事では、母音の後に続くアに近い R の話ではなく(詳しくはこちら)、子音としての R を取り上げます。

 

ドイツ語の子音の R と言っても、地域差や使われる場面の差があり、細かくいうと三つの違う音があります。本記事のメインテーマはこれではないので、興味のある方は下にある補足をご参照ください。今日は、標準ドイツ語で一番メジャーな「喉を使って出す若干渇いた感じの R」の発音(下記①/ʁ/)に焦点を当ててお話していきます。

さて、実は R の発音のしやすさのカギを握るのは、R の前後の音の違いです。ひとえにR と言っても、いろんな音の組み合わせがあります。例えば、単語の最初に出てくるパターン。Ratte (ねずみ)、Rotkäppchen (赤ずきん)、Recht (法)、riesig (巨大)など。子音の後に続くこともあります。Probe (練習)、brechen (壊す)、treffen (会う)、Grüße (挨拶)など。後ろに続く母音を見ても、いろんなパターンがありますね。

 

唐突ですがここでわたしの思う R の発音しやすさランキングを発表したいと思います。

一位:他の子音で始まって a や o が続くもの ー groß (大きい)、Tradition (伝統)など。

二位:他の子音で始まって e が続くもの ー treffen (会う)、brechen (壊す)など。

三位:R で始まって a や o が続くもの ー Rabe (カラス)、rot (赤い)など。

もろもろ省略

最下位から二番目:他の子音で始まって i や ü が続くもの ー trinken (飲む)、Grüße (挨拶)など。

最下位:R で始まって i か ü が続くもの ー richtig (正しい), Rücken (背中)など。

 

 

実はこのランキングには規則性があって、わたしは個人的に R の音は a や o のように舌を下げて発音する母音が続く場合や、R の前に子音がある場合が発音しやすく感じます。なんとなく、子音が先にあると R を発音する前の準備期間ができる気がするような?逆に i や ü が後に続くものは、今でも結構よく変な音になります。

さて、音声学には調音結合(Koartikulation)という概念があるのですが、一つの音の発音は、必ず周りの音に左右されます。有名な例は、「カ」「キ」と発音する時の/k/の発音の違いです。囁きながらこの二つの音を発音すると、同じアルファベットで表される音でも、実際にはかなり違う発音になることがわかると思います。

というわけで、"ra" と "ri" でも事情は同じです。この R、同じ音であるように見せかけといて、少し違う音なのです。a は舌を下げたまま、i は舌を上げて発音するので、R を発音する位置(専門的にいうと調音点)が下がったり上がったりします。これの何が問題かというと、喉の奥に舌を近付けて発音するという R の特性上、舌が上に行くほど喉と舌の距離を詰めづらくなり発音が難しくなるのです。

また、gr という音は、発音する位置が近いのもあり、gと言った後に少し力むとそれっぽい音が出せるようになったりします。イメージをしては、ドイツ人がいら立った時に喉で出す音を真似する感じといいますか。

 

わたしの思う R の発音のコツは、とにかく自分が発音しやすい(かも)と思う音の組み合わせを見つけて、それをしつこく練習し続けること。ちなみにわたしが一番最初にドイツ語の R を発音できたのは、NHKのテレビでドイツ語に出てきた "Wo treffen wir uns?" という文にを復唱しているときでした。マライさんの発音を聞きながら、ひたすら録画を巻き戻して狂ったように真似していたら、急に掴める瞬間が来ました。

 

皆さんにも、特に発音が苦手な R がありますか?逆に、なんかこれならいけそうって R はありますか?"Wo treffen wir uns?" は文としての汎用性も高いのでおススメですよ。それではまた!

 

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補足:

①一番王道のやつ:/ʁ/ (Stimmhafter uvularer Frikativ)

ちなみにこれの無声バージョンは ch の音/χ/です。なんなら、よくよくドイツ人の発音を聞いていると、ほぼ ch と変わらないなってことも多いです。R は苦手だけど ch ならわかるって人は、最初は ch と言うつもりで発音してみると近い音が出せるようになるかもしれません。

 

②舞台ドイツ語で耳にするらしいやつ:/ʀ/ (Uvularer Vibrant)

わたしは、ドイツ語を話し始めた最初の頃、ドイツ語の R はとにかく喉を強く鳴らすものだという思い込みがあったので、いつもこれで発音していました。どちらかというとフランスのシャンソンに出てくるような、やたらとくるくるした感じの音です。ただこれは発音がわりかしめんどくさいので、あまり標準ドイツ語で耳にする機会はありません。舞台ではよくこの R を使うという噂を耳にすることが多いですが、舞台に行く機会があまりないので真偽のほどはわかりません。ラインラント方言でも使われるみたいな話もあります。

 

③巻き舌:/r/ (Alveolarer Vibrant)

おなじみバイエルン方言やオーストリア方言で耳にするバリエーションです。ざっくりいうと、スペイン語やイタリア語の R と同じ発音です。ドイツ語圏内で実際に使われる地域があるということで、ドイツ語の喉を使うバージョンの R が苦手な方によくおススメされる音ですね。

 

ちなみにこの三つ、音韻論的に言う自由異音(freie Allophone)というやつです。はっきり違う音のバリエーションはあるけどどの音を使っても意味は変わらないというあれですね。ドイツ語圏で言語学を専攻している皆さんはテストに出ますよ!日本語でいう東北地方の鼻濁音/ŋ/と九州地方の/ɡ/みたいなものです。

 

補足②:

かれこれ長いこと学術的知見を交えた「発音しやすさ」に焦点を当てたいと思い続けているのですが、本記事は論文ではないということで、個人的な経験則だけで書いていることをご了承ください。興味のある方は、"Artikulatorischer Aufwand/articulatory effort"なんてキーワードを使うと似たような話が見つかるかもしれません。

語学学校再入学を断られた時の話

みなさんこんにちこんばんは。ご無沙汰しております。すっかりおさぼりブログとなった本サイトですが、ふと思い出したことがあるのでちょっくら記事にしていこうと思います。これは、初めてドイツの大学に通い始めて絶望した直後のお話です。

 

史学科に入学した初日に挫折した話は何度か記事にしてきましたが、実はその話には続きがあります。自分の語学力に呆れた当時のわたしは、とりあえず近所の語学学校に行ってドイツ語力をアップさせてから大学に再挑戦する計画を立てました。

さて、レベルチェックテストを受けてみるとすごくアンバランスな結果が出ました。文法は満点、読解・作文テストはかなりの低得点だったのです。スピーキングも終えて、担当者に「なんで大学に入れたのにまた語学学校に戻ろうとしてるの?必要なさそうだけど」と言われたことを鮮明に覚えています。今思うとすごくいい指摘だったと思うのですが、当時のわたしはガビーンとショックを受けた記憶があります。大学でもダメで、語学学校にまで受け入れてもらえないとなるとどうすればいいのかと。

 

さて、言語学を専攻して違う視点を身に着けた今、この出来事を再考してみると面白い点が浮かび上がってきます。

 

①文法力と言語運用能力の違い

どれだけ文法の能力が高くて細かい言葉のルールを理解していても、ドイツ語を実際に使うこととは雲泥の差があります。いうなれば、言語学者が研究対象の言語を必ずしも流暢に話せるわけではないという現象と同じです。

当時のわたしの場合は、文法力と読解・作文力が極端に乖離していたようです。言語を実際に使う能力は、文法力とは似て非なるものなのです。スピーキングも、日常会話なら何とかついていけるだけで(しかも学習者と話すのに慣れている語学学校の担当者相手に)、高度なアカデミックスピーキングとは違うもので。

また、語学力一般について書いたことがありましたが、理解・算出の違いや書き言葉・話し言葉の違いもあります。テストではうまく「ごまかせ」ても、実際のドイツ語力には限界がありました。

 

②目標をどこに置くか

ネイティブとして生まれたわけではない以上、「完璧なドイツ語」を話せる日は一生来ません。というかネイティブでも「完璧に」話すことなんてできません。人間である以上、文法を間違えたり、言葉の選択を誤ったり、言い間違えたり、言葉に詰まったり、そんなのは日常茶飯事です。言葉の正しさにフォーカスして学習するからこそ自分の中の「ドイツ語」のハードルが上がってしまって、自分の首を絞めることにつながるという点は少しだけ意識した方がいいなあと思います。もちろん外国語を勉強する時に正しさを意識するのは大事なことですが、度を超すと大変な思いをすることになります。

ここにも書いたけれど、非ネイティブとして外国語を使う際にはどこかで妥協する必要が出てきます。そしてその選択は、必ずしもネガティブな意味だけを持つわけではないのです。なんせ私にはほかに日本語という母語がありますし、初めてドイツ語を目にした日と比べて、着実に進化を遂げ続けているので。

もし仮に、完璧なドイツ語で武装できるその日を目指してドイツ語の勉強だけを続けていたら?と考えてみることがあります。わたしは飽き性なので、興味ないテーマについて記事を読まされるのも、与えられたテーマについてディスカッションさせられるのにも、言葉の正誤だけを指摘され続ける生活にもいつかきっと限界が来ていたはずです。もしかしたら、つまらなくなってドイツ語自体を手放してしまったかもしれないなあと思います。クラスで学ぶ言い回しはどこか現実味がなく、頭に入ってこないことが多い気がします。それよりも、完璧でなくてもいいから実際にドイツ語を頻繁に使ってみた方が楽しいと思うのです。

ま、専門で使う言語力がついてこなくてやきもきすることも結局たくさんあるのですが、そこは比較対象を過去の自分にして、進歩を確認し続けるのが一番いいかなと思います。

 

③専門性という武器

後になってドイツでの大学生活を思い返してみると、興味のある分野について学ぶ意識を刺激されたことで、内容を理解するための手段としてドイツ語力が上がった自覚があります。今でも、専門分野について同僚と話しているときが一番スラスラドイツ語が話せる気がします。

大学生活で触れる言葉は自分に興味/関連のある内容と深く結びついていることが多く、内容がなんとなく分かることによって言葉が後からついてくることもすごく多いです。理系の利点について書いたけれど、概念が既に存在していると、後から言葉というツールを身に着けるだけでいいので、こういうルートで言葉を学ぶことも可能です。わたしの英語の普段のグダグダさを知っている友達が、私が専門分野について議論する様子を見て驚いていたことがあったのですが、興味の強さや自分との関連性の強さによって大きく左右されるのが語学力というものです。第二言語習得論(SLA)でいうやる気という部分ですが、本当に的を射ていると思います。

 

さてさて、この話にはさらに続きがあって、語学学校はダメだと分かった後、最終的には大学にもドイツ語の語学コースがあることを発見して通い始めました。謎のプライドが邪魔をして、語学学校に行くのはいいのに大学でドイツ語を勉強するのは負けだという感覚があったのですが、グダグダ言っている余裕もなかったので。でも、これが運命の出会いになりました。というのも、私の大学のドイツ語コースは冗談抜きで今まで出会った語学コースの中で断トツのクオリティだったからです。学術ドイツ語にフォーカスを当てて、専門的な構文・語彙を教えられ、しかも作文もスピーキングも鍛えてくれるスーパーミラクルな授業がたくさん提供されていて、結局三年近くドイツ語コースに通い続けました。それでもまだまだ学ぶことが終わりなく湧いてくるのが、ドイツ語学習の怖いところなのですが。

話は逸れますが、ドイツ語圏の(というか外国語圏の)大学に通うことを検討している人は大学付属の語学センターがあるか、特に学術ドイツ語のコースが提供されているかというのは大学選びの基準に入れるのをおすすめします。高めのレベルのDaF(外国語としてのドイツ語)が破格で勉強できるのはかなりの利点です。

 

終わりに、言葉は、大学や仕事をはじめ、日常生活を過ごすうえで一番の基礎になるものです。言葉が十分に話せるかは、思っているよりもずっと精神衛生に影響を与えます。それでも、多少言葉がボロボロでも、とりあえずドイツ語を使える環境に身を置くことで進化していくものもあるよ、というお話でした。皆さんも、安心してドイツ語を実践的に身に着けられる環境が見つかるといいなあとひそかに願っています。それではまた!

 

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シュトーレン現象に関する一考察 2020年版

みなさんこんにちこんばんは & Frohe Weihnachten! 大変長らく放置していたこのブログですが、話題のテーマについて考察してみたくなったので今日は久々の更新です。

 

さて毎年クリスマスシーズンになるとドイツ発のスイーツが話題になりますね。近年市民権を獲得しつつあるStollenです。気になる読み方ですが、みなさんは、シュトレン派ですか?シュトーレン派ですか?

ドイツ語の読み方に則ると、本来は短母音であるシュトレンと発音されるこの単語なのですが、どうも日本語的には伸ばし棒を入れた方がしっくりくるみたいなのです。試しに「シュトレン」と「シュトーレン」で検索をかけてみると、以下のようになります。

 

シュトレンのみの検索結果 : 約544,000件 (Bing)、871,000件 (google)

シュトーレンのみの検索結果: 約1,070,000件 (Bing)、3,920,000件 (google)

 

実際のドイツ語の読み方とは逆行した結果ですね。twitterでは#シュトレン警察といったタグも見かけるなど、ドイツ語読みに則った発音を広げようとする活動も毎年起こっていますが、どうにもドイツ語から日本語に入ってくる際に不思議な力が加わっているようなのです。今日は、ドイツ語音韻論と日本語の外来語で見られる基本パターンについての研究を参照しながら、なぜ「シュトーレン」が「シュトレン」より優勢なのかについて考えていこうと思います。

 

①ドイツ語音韻論の視点から(Stollen)

専門的な言い方をすると二重子音である"Silbengelenk"が入ったこの単語。これは、基本的には短母音をマークする役割を担っています(詳しくはこちら)。というわけで短母音のシュトレンという読み方がドイツ語的には正しいのです。

ちなみに、たまに目にする高地ドイツ語方言では長母音として発音されるといった地域差によるもの説は、南ドイツ・オーストリア出身の母語話者の友達数人に聞いてみても確認されませんでした。

 

② 外来語研究の知見から (Stollen)

語中に二重子音が含まれるドイツ語の単語が日本語に借用される時には、基本的に小さいッやンが挿入される場合がほとんどです(促音化、發音化)。例えばビッテ(bitte、グリコのお菓子)、ミッテ(Mitte、ベルリンの区)、タンネ(Tanne、パン屋)、ヘッセン (Hessen、連邦州)などなど。

唯一の例外は、二重子音が"l"の場合。これは、シュトレンの例に当てはまります。ほかには、ハレ (Halle、町の名前)など。Keller (地下室)をケラーではなくケッラーと表記する人はなかなかいないと思います。①で述べたように、二重子音は短母音を示しているので、ケーラーという言い方はありえません。

というわけで、どうやらドイツ語の単語が日本語に借用される際には、"l"以外の二重子音を含む音節に小さいッやンといった「おまけ」がつくという傾向がありそうです(専門的に言うと、重音節になる傾向が強い)。同様の傾向は、英語由来の外来語でも観察されます(大滝, 2013)。

 

というわけで、小さいッが挿入されるバリエーションが観察されない理由は説明できても、ますます「シュトーレン」と母音を伸ばす意味が分からなくなります。

Stollenを日本語化するときに考えうる様々なパターン、①「シュトレン」②「シュトッレン」③「シュトーレン」の三つを実際に発音してみると、わたしは①を発音しようとするときにすごく迷います。それは、どんなイントネーションで発音したらいいかわからないから。②と③は、すぐに「ト」のところを高く発音するんだろうなあと思うんですが、①は、「シュ」の母音を発音するのかしないのか、どこにアクセントを置くのか、いまいちつかめなくて。とりあえずドイツ語の発音のままで「シュ」の母音を発音せずに「ト」にアクセントを置いて発音しているのですが、そうすると強烈な違和感が残って。なんとなく日本語っぽすぎる響きというか。存在はしないけど「首都連」かな?みたいな。というわけで、アクセント研究にも目を通してみましょう。

 

③外来語研究の知見から (アクセント①)

坂本(2005)の外来語研究の結果を見ていると、「ト」にアクセント核が来る「シュトレン」というパターンは(LLH/中高型)割と一般的みたいです。逆に、「トー」にアクセント核を置く「シュトーレン」というパターン(LHH/中高型)は珍しいとのこと。つまり、どちらかというと「シュトレン」の方が「シュトーレン」よりはよくあるパターンらしいのです。これでは、「シュトーレン」の方「シュトレン」よりも優位である説明が付きません…。この研究での五拍の外来語の分析対象が少ないことも少なからず結果に影響していそうですが。これに関しては、改めて分析が必要だろうと思います。

 

④外来語研究の知見から (Stollen)

この単語が連続子音で始まっていることと何かしら関連があるかと思って調べたところ、連続子音ではウの母音が挿入されて(sh→shu)、一拍目以降にアクセント核が来るという結果以外見つかりませんでした。これは「シュトレン」と「シュトーレン」のどちらにも当てはまる話なので関係なさそうです…。

 

⑤外来語研究の知見から (アクセント②)

一つ気になる点があるとすれば、柴田(1994)も述べている「外来語のアクセントは在来語のアクセントに同調しない」という傾向。現代の日本語には「しゅとれん」なんて言葉はありませんが、もしあるとすれば、「ト」にアクセント核を置く「シュトレン」と全く同じ発音になりそうだという想像がつきます。みなさんはどうですか?

 

というわけで今年は、「シュトレン」だとなんとなく発音が日本語と被りそうだから「シュトーレン」になる、という結論にたどり着きました。

今はまだ日本語に特有の音節構造に明るくないので、かなり主観の入ったぼやっとした結論しか導き出せなかったのが痛いところです。来年は、日本語のPhonotaktik (音素配列論)を勉強して出直します!並行して、他の日本語話者への聞き取り調査を行っていきたいところです。それでは改めて、メリークリスマス!

 

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追記: アクセントの種類を"2型"から"中高型"に改めました。(2020.12.27)

追記②:「語中の二重子音が重音節になる」という傾向を述べましたが、"ll"では小さいッが挿入されないという制約を受けて、重音節という性質を残すためにあえなく長母音を挿入するという手段に代わるという可能性が大きいと思っています。twitterでもアクセントに関しての指摘がありましたが、重音節という性質が中高型のアクセント構造に大きな影響を与えるのではないかという仮説を立てています。(2020.12.27)

 

 

参考文献:

大滝靖司. (2013). 日本語借用語における 2 種類の促音化. 国立国語研究所論集, (6), 111-133.

https://ci.nii.ac.jp/naid/110009633433

坂本清恵. (2005). 外来語の音節構造とアクセント. 論集, 1, 1-24.

https://ci.nii.ac.jp/naid/40015467224

柴田武. (1994). 外来語におけるアクセント核の位置. 佐藤喜代治編 『現代語・方言の研究』.

文字だけではわからない①

みなさんこんにちこんばんは。最近はTwitter 経由で覗いてくださる方も増えてきてうれしい限りです。さて今日は、ドイツ語の綴りと発音の関係性について再考していきたいと思います。

 

ドイツ語の読み方の規則は、同じアルファベット言語の英語と比べると比較的単純と言われています。でも、やっぱりドイツ語にも、文字を見ただけではわからない読み方の規則もあるのです。一から数え始めるとキリがないので、この記事では二回に分けて5つの代表的な例からご紹介します。

 

①Rの母音化 (R-Vokalisierung)

ドイツ語の読み方の規則の王道といえばこれ。母音の後に続くRは、aに近い音で発音されます。実際に発音を聞きたい方は、このYoutube動画がおすすめです!(3:56辺りから、このテーマについて紹介されています。)

www.youtube.com

ドイツ語を日本語でカタカナ読みする時には、本来なら母音化されるはずのRまで ル と書く慣習がありますが、それに惑わされないでください。実はこの読み方、実際の現代ドイツ語の発音とはかけ離れています。

例えば、カタカナで都市名を書く時、ヴュルツブルク (Würzburg)、ハイデルベルク(Heidelberg)、ベルリン(Berlin)など必ず ル と付きますが、ドイツ語でこれらの都市名を発音するときには、日本語の読み方は忘れてしまいましょう。自分の耳に自信を持って、聞こえた通りに発音するのが一番のポイント!

 

音節末子音の無声化 (Auslautverhärtung)

語末や音節末に来る子音、例えばTagのgはk、abfahrenのbはpと読まれるという規則があります。Hundのdもtと発音します。ただし、複数形になる時には、子音は書いてある通りの読み方をします。例えば、Tageのgはg、Hundeのdはdのままです。

上で出したHeidelbergとWürzburgの例ですが、日本語ではハイデルベルグ、ヴュルツブルグと書かれることがあります。これも、現代ドイツ語の読み方の規則に則ったものではないので、ドイツ語を話す時には日本語読みは頭の隅に追いやってしまいましょう。これらの都市名の中のgも、上の例と同じようにkと発音されます。

 

この二つは、ドイツ語を読む時に必要な基本的なルールなので、ドイツ語の綴りを見て、頭の中で実際の発音と結びつける練習をするといいかもしれません。

 

長くなったので今日はここら辺にして、次回は”自然なドイツ語”の発音に近づくような読み方の隠された規則を紹介していきたいと思います。それではまた!☺

 

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ドイツ人同士の会話についていけない理由

 みなさんこんにちこんばんは。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。大学も始まって、一気にブログおさぼりモードのねずみです。今日は、ドイツ人同士の会話の輪にうまく入れない現象について再考していこうと思います。

 

皆さんは、語学学校や外国人同士、一対一での会話ならついていけるのに、ドイツ人同士の会話になると一気についていけなくなる体験をしたことがありますか?私は、大学に入った当初、あまりに周りのドイツ人の会話についていけなくて衝撃を覚えた記憶があります。

実はこれ、言葉の社会的な性質と非常に深く関係しています。ここでは、「レジスター」という概念と「コミュニケーションの流れ」がキーワードになります。

 

どの言語でもそうですが、人間は、知らず知らずのうちに話し相手に合わせて話す傾向があります(レジスター)。例えば、赤ちゃんに話しかけるときには赤ちゃん言葉になったり、ペットに話しかけるときにも独特の話し方をしたりしますよね。似たように、私たちのような外国人のドイツ語学習者を見ると、話す方も自然と簡単な言葉を使ったり、ゆっくり話したりするようになっているのです。これは社会言語学的に見ても普通の現象で、コミュニケーションを円滑に進めるためのごく自然な反応です。言語学では、これを、"Foreigner Talk"と呼んだりもします。文法・語彙・発音、様々な面で簡略化が見られるのが特徴です。

実は、言葉というものは、私たちが想像する以上に様々な姿を見せてきます。言語学には、実際に外国人に向けた話し方と母語話者に向けた話し方を比較した研究がたくさんありますが、多くの研究で、この二つの話し方(レジスター)では、言葉の姿が全然違うことが示されています。有名な研究には、ドイツ語ネイティブのガストアルバイターに向けた話し方を調べたものがありますが、冠詞を付けずに話したり、文ではなく単語だけで話したり、普段ドイツ人同士で話すのとは全く違う話し方をすることを示したものもあります。これは非常に特殊な例ですが、文構造、語彙、話す速度や発音といった言葉の特徴は、話し相手やシチュエーションによって大きく変わってくるものなのです。

 

また、あからさまな外国人扱いこそされなくても、二人きりでドイツ語のネイティブと話すときには、自然とお互いわかりやすいような話し方をするようになっています。お互いの話し方が似てきたり(いわゆる「コンバージェンス」)、分からなかったら聞き返すチャンスがあったり。

 

さて、外国人向けの話し方の影響がなくなって一気に理解のハードルが上がるのが、ドイツ人同士の会話。話す速度も上がるし、使う語彙も人によっては大きく変わったりします。そういう理由で、ただでさえドイツ語を理解するのが難しくなるのに、もう一つ大きな壁があります。それは、分からなかったときにその都度質問する難易度が上がること。二人きりだと、あれ分かんないやって思った時に顔をしかめてみたり、首をかしげてみたり、意味を質問してみたり、コミュニケーションを円滑に行うために要点を聞き返すことができます。しかし、ドイツ人同士の会話に混ざっていると、他の人たちが基本的な情報を共有している中でそれを自分一人が聞き返すのは逆に会話の腰を折るような気がしてしまいます。気付いたら途中で会話の内容がちんぷんかんぷんになって、一人ぼんやり、私今何してるんだっけ、と自問した経験がある人も星の数ほどいると思います。あとは、彼らの話す速度が速すぎて、自分のドイツ語はゆっくりすぎて時間を取ってしまうんじゃないかとか、文法を間違って嫌な顔をされたらどうしよう、とか、不安要素も増えて、会話についていく心理的なハードルがどんどん上がっていったりもしますよね。

 

でも、ドイツ人同士の会話についていけない時は、決して語学力が下がったからというわけではなく、シチュエーションに左右されているだけなのです。特定の人と話すときや、特定のシチュエーションでならちゃんと話せるのに、ドイツ人同士の会話になった時にはうまく会話に入れないと思うとショックだし、怖いし、って気持ちはすごくよくわかります。ごく稀に外国語の話者に慣れていなくて嫌な反応をしてくる人もいないこともありませんが、向こうのネガティブな反応を予想しておびえる必要はありません。言葉の間違いを気にして馬鹿にしてくる人も、少なくとも私は遭遇したことがありません。案外言葉の意味を質問してみたらうれしそうに説明してくれる人も多いし、そこからさらに会話が広がったりもします。ドイツの人にも、自分が外国人として外国語を話した経験がある人がたくさんいるので、共感してくれる人が大半だし、一度分からないことを示せば学習者にレベルを合わせてくれたりもします。

大事なのは、これを、迷惑をかけて申し訳ないとか、会話をしたい人たちの足を引っ張ってるとか思わないことです。気を遣ってくれたら、ありがたく受け取ればいいし、やっぱり分からなければ、そんな日もあるよね~って思うくらいでいいですよ。会話を重ねるうちに、いつの間にか物おじせずドイツ人同士のおしゃべりの輪に入れる日が来ます。

 

皆さんも、ドイツ人の会話にあまりついていけなくても、身構えすぎずゆるーく言葉の違いでも観察してみてください。かれらのドイツ語の特徴を観察して、言語学者を疑似体験するのも楽しいですよ。それではまた☺

 

 

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補足:語学学校で触れるドイツ語と大学で使うドイツ語の違いについての感想は過去に記事にしたことがあるので、興味のある方はぜひご覧ください。

 

【ドイツ語音韻論】Susi & Strolch (101匹わんちゃん) の読み方

みなさんこんにちこんばんは。今日は、もうすぐドイツで公開されるらしいディズニー映画のタイトルを見てインスピレーションを受けました。みなさんは、Strolch の正しい読み方が分かりますか?特に、最後の二文字。今回のテーマは、ずばり標準ドイツ語の ch の読み方について。

 

おさらいですが、この ch は二文字で一音を表しています。英語の sh に近い感覚ですね。ヒに近い音、フに近い音、はたまたキやクとも読めてしまうこの二文字ですが、読み方にはある程度の規則性があります。特に大事になってくるのが、語中での位置と、ch の前にどの音が来るかの二点です。

 

①語頭の ch (3 パターン)

China、Chemie、Chiemsee という ch で始まる単語をどう読むのかという話は、ドイツ語の授業でもおなじみのネタですね。標準ドイツ語では、日本語のヒに近い/ç/という音が正しい読み方です。でも、南の方言ではキ・/k/、北の方ではシ・/ʃ/ と読むなど、地域差が大きいのが特徴です。ちなみに Chiemsee という地名は、この湖がある地方の発音に従ってキームゼーと呼ぶ慣習があります。Chemnitz も同じ理屈でケムニッツと発音されます。

ただし、フランス語由来の外来語 Chef、Champagne、Chapeau などでは、どの地域でもシ・/ʃ/ というのが正しい読み方です。まだドイツ語に慣れていない方は、もしかしたら外来語なんてどうやって見分けるの~なんて思うでしょうが、これも、勘に任せるのが一番早いです。あとは、上に紹介した発音記号(ç、k、ʃ)を覚えて辞書で確認するのもいいでしょう。周りにドイツ語を話せる人がいるなら、ちょくちょく質問して読み方をチェックするのもいい手です。

そのほかもう一つ、後ろに子音が続く場合があります。おなじみの人名 Christus (キリスト)から派生した人名に多い綴りですが、この場合の ch は英語と同じようにク・/k/と読みます。この例には、Christina (クリスティーナ)、Chronik (クロニーク) などがあります。日本語の癖で、r の前に母音を入れないように注意してください。

 

②語中・語末の ch (2 パターン)

これには、ch の前に来る音が口のどのあたりで発音される音なのかが大きく関係しています。母音が口のだいたいどのあたりで発音されるかが見えるように、音声学でよく目にするVokaltrapez (母音が発音される位置を表した図)に、横から見た顔を描き足しました。絵心のなさには目をつぶってください。

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母音を発音するときの口の中のイメージ図

 

①口の後ろの方で発音する母音 (u・o・a)

まずは、u・o・a の三つから見ていきましょう。これらの母音の後に続く ch は、ヒというよりはフとかホのような音です。どれも、喉の奥の方で、呆れ切って、もー!!って思いながらため息をつく時みたいな音。カタカナでフと書くと混乱しやすいけど、口の前の方で発音する日本語のフとは全く別物です!下手したら今から痰でも吐くの?って聞きたくなるような音、とでも言いましょうか。身近にネイティブがいる方は、思いっきりBuch、Bochum、Bach と言ってもらってみてください。

よく聞いてみると、u・o・a の後に続く ch はそれぞれ違う音で、ハ、ホ、フ、みたいに聞こえます。これは、音韻論で「同化」と呼ばれる現象で、母音と子音が口の中の同じ場所で発音されることと深く関係しています。すべては、発音しやすさのため。アって言った後にホなんて口の形にするのは、なかなか大変です。母音の後に口の形を無駄に変えないことを意識すると、自然とドイツ語っぽい発音になります。

 

②口の前の方で発音する母音 (i・ü・e・ä・ö)と子音

先ほど紹介した三つの母音以外の母音以外(i・ü・ö・e)に続く ch は、日本語のヒに近い音で発音されます。ich、Bücher、möchte、echt という単語を聞いてみると明らかですね。この場合同化現象は起こらず、すべて同じ音です。

また、n・l・r などの子音の後に続く ch も同じ音です。例は、München、durch、Milchなど。今回の記事のタイトルになっている Strolch もこれにあたります☺コツは、日本語と違って ch と発音した後に母音を挟まないこと。

 

さておさらいです。標準ドイツ語の ch の読み方は割と複雑で、語中の位置・前に来る音、外来語であるかどうかによって大きく分けて5パターンか存在します。

気付いた方もいらっしゃるかもしれませんが、Macht - Mächteなど、同じ単語なのに単数・複数形で子音の読み方が変わってしまうのにはこういう理由(いわゆる同化現象)がありました。メハテ、なんて単語があったりしたら、ものすごく読みづらいですからね。

 

ドイツ語圏内にお住まいの方で、オーストリア在住の方がいらっしゃったら非常に混乱しているかもしれませんね。これは、オーストリアのドイツ語では、先ほど説明した標準ドイツ語のルールとはまたルールが適用されることに起因しています。

a の後に続く ch の読み方はハ、というお話をしましたが、何を隠そう、文字で durch と書いてもこの場合の r の発音自体は a と全く同じです(詳しくはRの母音化という現象を説明したこちらの記事からどうぞ!)。綴りの通りに ch の発音が決まる標準ドイツ語と、実際の発音に即して ch の発音が決まるオーストリアのドイツ語という2パターンが存在するので、こういうバリエーションが発生するわけです。面白いですよね。

 

パターンこそ多いものの、規則性のある ch の読み方をこの際マスターしていただけたならうれしいです。それではまた☺

 

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ドイツ人にならなくてもいい

 

昨日は、私がドイツで体験した挫折にフォーカスしてお話ししてきましたが、今日はそれから今日までの考え方の遷移と、きっかけになった経験、今思うことについて書いていこうと思います。私の結論は、ドイツ人にはならなくてもいい、ということです。非母語話者として、ドイツ語を完璧にできる必要なんてありません。

 

歴史学から言語学に転科した時、 外国語としてドイツ語を話す学習者への理解度の高さに驚きました。先生たちも皆、自ら英語という外国語を扱い、やるせなさを経験したことのある人たちで。個人差さえあれど、大抵の先生はあくまで言葉という普段なら判断の対象になるものを客観的に捉えて、外国人の話す言葉の特徴をつかむことにフォーカスしていて。言語学で一番叫ばれているのが、人の言葉を判断しない、ということなのですが、学習者のドイツ語を、「悪い・レベルが低い」とは間違っても言わないで、客観性を重んじる。こんな空気があるから、すごく過ごしやすく感じたのだと思います。

 

最初に通った一年生向けの入門クラスでは文法がテーマだったこともあり、大学で初めてドイツ人学生より優位な立場に立つという経験もしました。これが、自信を取り戻すきっかけになったのですが。言語学は、歴史や生物・化学などその他様々な専攻と違って、大学の勉強を開始する時期には専門的な知識が必要とされないというメリットがあります。そういうわけで、みんな同じ位置でスタートラインに立てる、むしろドイツ語の知識という少しのおまけまでついてくるというのは、ものすごくありがたかったです。

ただ、口頭発表やテストはやっぱりボロボロだったりして、心も荒んだりもしました。それでも、手も足も出なかった歴史学とは全く違ったし、課題をこなすうちに確実に進歩を実感できたのは大きかったです。一度、教授にフィードバックを求めたら、「ドイツ語上手ね」、と言われたこともあります。ほんとは、内容についてのコメントが欲しかったのですが…。ドイツの大学での生活に慣れることができたのは、副教科の日本学の先生たちがかわいがってくれたこと、同級生がたくさんできて孤立しなかったことの力も大きいです。

 

言語学に目覚めた私は、そのうち大学の研究アシスタントとして働き始めました。これが、人生の大きな転機になりました。正直、最初は採用された意味すら分かりませんでした。というのも、母語話者じゃない以上、こなせる課題にはどう頑張っても限界があるから。仕事で書くメールの文面もなんか変なんだろうなあと思ったり、マニュアルを制作しても、言葉が変すぎるだろうなと思ったり。覚えないといけない単語も多くて、頭がパンクしそうになったり。

でも、私が職場で出会ったのは世界一優しい人たちだった気がします。今の同僚は、いろんなことを辛抱強く教えてくれて、私の言葉を馬鹿にすることもありませんでした。彼らには、とにかく、外国人と働くことに理解があったのです。ドイツにはこんな感じで理解のある人たちがたくさんいると思っています(これに関しては賛否両論あるかもしれませんね)。

一度言葉ができないと思うと、無意識のうちに自分を虐げる癖ができてしまいますが、実際に外国人である私たちに完璧を求めてくる人たちは案外少ないのです。最初の頃は、外の人扱いされるのがいやで、それすら否定してきました。でも、彼らがドイツ語の完璧さを期待しないというのは別に見下しているからではなく、私たちが、外国で母語でない言葉を話しながら勉強する・働くという行為の特殊性を知っているからだということが最近わかってきました。完璧を求めて、自分を落とし続けているのは、私だったのです。

 

何度か、母語話者じゃない同僚がいて大変じゃないのか、と聞いたことがあります。そのたびに返ってくるのは、本当によくやっているというフィードバックでした。一番よくしてくれた先輩がロシア出身だったから、文化の違いについても、言葉の壁についても、いろいろ聞く機会があったのはラッキーでした。大学界隈だと特に国際化が進んでいて、外国人の同僚がいるのなんてごく普通のことという認識があるし、そもそもの前提が違う事実を目の当たりにした感じです。もちろん外国人に慣れていない環境も多いだろうし、だからこそ運がよかったと思ったりもするのですが。

 

こんな漠然とした考えをずっと頭の中で温め続けてきた中で、去年の夏知り合った言葉があります。それは、"Mehrsprachigkeit ist kein Defizit"というものです。意味としては、「多言語を話せるということは欠点ではない」といった感じで、ドイツ語が不完全だからといって無価値なわけがないし、それを「欠陥」としてとらえる必要はない、という言葉です。もともとは、ドイツでドイツ語を第二外国語として習得していく移民の子供たちに向けたものですが、私たちのように大人になってから外国に来た人にも十分当てはまる言葉です。

私たち日本人がドイツ語を使っていくうえで決して忘れてはいけないのは、日本語という母語があることです。たとえドイツ語の母語話者のようになれなくても、日独両言語を組み合わせることで無限の可能性が生まれます。大事なのは、母語話者になれないからといって、ふてくされてあきらめるのではなく、自分に手を出せそうな分野を見つけて、自ら可能性を切り開いていく強さだと思います。失敗なんて誰にでもあるのだし、周りも結局私たちが母語話者になることは求めていないからです。

ドイツ語で変な言い間違いをしたらおもしろいなーって思うくらいでいいし、緊張して言葉に詰まったら、勝手に言語学の研究をしてる気分になってもいいし。話せない場面と話せる場面を観察してまとめてみるとか、自己嫌悪を避けるのに役立つ回避方法もいろいろあります。自分のドイツ語について思うことを一言言葉にして伝えるだけで、周りも理解してくれることも多いです。ほかの外国語を勉強するときに似たような経験をした人も多いので、外国語あるあるはパーティーなんかで使える定番ネタですよ(笑)。

 

ことあるごとに、自分のドイツ語力に悩んで、大学、仕事、周りの母語話者と比べてできないところばかりが目に付く気持ちもすごくわかります。他の学習者もみんな自分よりずっと進んでいるように見えるし、そのうち自己否定が強くなって、まともに言葉すら扱えない外国人の私なんか雇うところなんてあるわけないと疑心暗鬼に陥ったり。

でも、一番大切なのは、外国語を使いながら、全く違う土俵に立って戦うことのすごさを忘れないことだと思っています。今まで身に着けてきたものや成功してきたことはすぐに忘れてしまうのに、無いものばかりが目に付いて凹み続けてても、もったいないと思います。もちろん、進化し続けようという気持ちも、それに伴う努力もとても大事なことだけど、ドイツ語の母語話者ではない自分を責める必要はゼロなのです。

 

これが、今の私のドイツ語に対する結論で、今ではドイツ人はならなくてもいいや、と思っています。日本語を母語として操れる自分が好きだし、日本語だけではなくドイツ語まで話して。大学で勉強して、働いて。これ以上何かを望むのは、自分を低く見すぎ、と思うのです。

言葉の壁はなかなか高いですが、超えられない壁があってもいいし、それをうまく回避する方法を見つけたり築き上げたりする方が大切ですね。それには、過去に目標にしていたことを振り返るのを忘れないようにするのが役に立ちます。数年前に取ったノートや昔書いたメールを見返してみるだけハッとすることも多いので、おすすめです。それだけでも、今の進化に気付くはずです。

 

私事ですが、今日で渡独してきてからちょうど5年が経ちました。今回は、今までとは少し毛色の違う日記のような記事になりましたが、それが理由です。

6年目のドイツ生活がどんなものになるのか、今からワクワクしています。今の願いは、早くウイルスの勢いが落ち着くことと、またいつかみんなで集まってお祝いできる日が来るようになること。皆さんもどうか体にはお気をつけて。

 

それではまた☺

 

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言葉の壁

みなさんこんにちこんばんは。お久しぶりです。大学のオンライン授業が始まったり、リモートワークをしたりして少しブログから離れていましたが、またぼちぼち更新を再開しようと思います。慣れないことはやっぱり疲れますね~。さて今日は、外国語学習にはつきものの、語学力の悩みについて触れていこうと思います。

 

突然ですが、私は去年の七月、ドイツに来て一番のクライシスに陥りました。きっかけは、外国から来た大学生の大学の卒業率と語学力の関係についての講演を聞いたこと。講演では、語学力の高さがやっぱり卒業と密に関係しているという内容だったのですが、なんとなく、カウンターパンチを食らったような気持ちになりました。自分でも驚いたのですが、急に涙が止まらなくなって。

後から考えてみると、大学に通い始めてからドイツ人の先生や周りの学生が示した反応を思い出してフラッシュバックのような状態になったからかなあとも思うのですが。何度か書いてきましたが、私には憧れだった歴史学科から転科した過去があります。

もう四年半も前のことですが、大学入学当時に感じたのは、底知れない絶望感でした。語学学校と違って、先生の言っていることすらろくに理解できず授業についていけない。授業中も、質問も意見もうまく言葉に出せなくて議論についていけない。そのせいで全くの能無しと思われて、まともに取り合ってももらえない。私が言葉に不自由なことが分かると、たいていのドイツ人学生は話が通じないと思い離れていく。たまに英語で話しかけられるけど、英語もろくに話せない。でも、ドイツ語でそれを説明する能力もない。当時の私は、言葉通りコンプレックスの塊のようなものでした。今まで問題なくこなせていたことが急にできなくなるのって、ものすごくストレスがたまるんですよね。ましてや、高校でも語学学校でもいわゆる優等生タイプだったからこそ、急に落ちこぼれになったショックは計り知れなくて。

 

この当時の、何とも言いきれないもやもやを、自分で同じ状況を経験したことのない言語学者がただ分析して、「勉強についていけないのは語学力が足りないから」なんてすごく乾いた結論を出していて。海外での大学生活にはそれだけじゃなくもっと何重もの苦悩、特に心理的な面でのダメージが付きまとうのに、それすら考慮されていなくて。あなたに何が分かるのって怒りと、言葉ができないってだけで能力がないと決めつけられる悔しさと、いろんな気持ちが入り交ざって泣いてしまったのだろうと、あれからずっと経った今ならそう思うことができるのですが。

 

でも同時に大切なことにも気づくことができました。それは、今の私はもう大学に入りたてで右も左もわからない弱い私ではないということ。ここに来るまでに、周りに認められるよう努力を重ねて、自分の世界を切り開いてきたこと。

当時から数年経った今なら言えるけれど、どんなに地獄のように見える環境でも、自分の動き次第でいつかは変えられます。一度の失敗がすべてを決めてしまうなんてことはなくて、ゆっくり時間をかけて、それを自分にも許してしぶとく生きていれば、徐々に、でも確実に状況は改善していきます。これだけは皆さんに伝えたいのです。

 

私はというと、あの状況から脱却するために、大学付属の語学センター(Sprachenzentrum)のドイツ語コースに通いまくりました。これまでずっと勉強してきたのにまたー?と思ったりもしたけど、学術ドイツ語は特殊なので、大学で出くわす言葉のスタイルに特化した語学の授業を受けて損することはありません。なにより、外国人だから取り合ってもらえないなんてことがなくて、自己肯定感が上がるので超おすすめです。

他には、シラバスを見て、他学科の授業を覗いてみるのもありだし、なんなら転科も簡単にできます。また、日本語を勉強したことのあるドイツ人と話すと、語学的に遠い言葉を勉強して日常生活で使うことの大変さを分かってくれる人も多いです。いろいろ説明してくれる現地人の友達ほど心強いものはないから、すごくいいですよ。忘れがちだけど、似たような悩みを持つ日本やドイツ以外からの留学生と話すと、悩みを抱えているのが自分だけじゃないことが分かるのでそれも役に立ちます。あと、どの大学の国際課にも、学生サポートの機関があるはずだから、情報を集めてとにかく助けを求めることも大切です。

 

もしも、たった今ドイツの大学に通いながら四苦八苦している人がいても、それはごく普通のことであり、自分を責める必要はないということを忘れないでください。逃げるという選択肢を選ばずに、残って戦い続けている自分をほめるのもいいですよ。でも、本当にだめなら放棄する勇気もあっていいです。自分を守るために。この記事で紹介したように、転科や、ドイツ語コースに特化することなど、いくらでも選択肢はあります。

 

言葉の壁を感じても、どうか落ち込まないで。

 

過去の気持ちを清算するために、少し暗い記事になってしまいました。でも、不幸自慢がしたかったのではなく、いつかはつらい時期にも終わりが来るということを示したかったことをご理解いただけると嬉しいです。次回は、私が今自分のドイツ語を捉えているかについて書いていこうと思います。

 

それではまた☺

 

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